吉行淳之介の魅力

小さい頃から吉行淳之介の作品が好きだった。「砂の上の植物群」「夕暮れまで」「闇の中の祝祭」などなど。陰りを帯びた世界の中で描かれる独特の危うさが好きだった。吉行淳之介を読んでみよう、と思い立ったのは、原田宗典氏の『おまえは世界の王様か』の中で、20歳ごろの原田宗典が吉行淳之介の『技巧的生活』の冒頭の文章に痺れたというエピソードに触れてからだったように思う。引用されているのはこんな文章だ。

暗くなってから、にわかに気温が昇ったためか、霧が立った。都会には珍しい濃霧で、黄色いフォグ・ライトを点した自動車が、街路をのろのろと走っていた。 少女は、青年と指先を絡み合せたまま、歩道を歩いていた。日暮どきから、二人は街を歩きまわっていた。

久しぶりに引用してみて感動する。なんというシンプルかつ豊かな描写!こんなに少ない言葉なのに、霧の中で絡めた指先の湿度が、霧の香りすらもが伝わってくる。その文章の鮮やかさに感動しつつ、当時15歳ぐらいだった僕は続きが気になって仕方なく、すぐに本屋に走って『技巧的生活』を買い求めた。それはいささか背伸びであったかもしれないが、以来、僕はずっと吉行淳之介の小説のファンである。

では、吉行淳之介のエッセイはどうか。在学中にいつもお世話になっていた駒場東大前近くの古本屋さん「河野書店」で出会った『吉行淳之介エッセイ・コレクション1「紳士」』(ちくま文庫、2004年)。その中身については、ちょっとここには書 けないような話も含まれているので読んで頂くほかないのだが、「紳士読本」「遊び」「酒」という各章のタイトルを引用するだけで面白さがきっと伝わることだろう。「洒脱」という言葉がぴったりなこの一冊、半ばアルコールが入ったような心地よさで吉行は語る。紳士とは、「キャッと叫んでロクロ首になる経験をもった人間」だと。

(2011年-2013年ごろまで「週刊読書人」Webに連載させて頂いていた「今週の三冊」より)